小さな宿のカスハラ対応マニュアルと相談体制|義務化の四措置を現場でどう整えるか
こんにちは。ホテル旅館コンサルタントの青木康弘です。
2026年10月のカスタマーハラスメント(顧客等による著しい迷惑行為。以下、カスハラ)対策の義務化を前に、「何から手をつければいいのか」と戸惑うホテル・旅館の経営者は少なくありません。立派なマニュアルを整えなければ、専門の相談室を設けなければ、と気負ってしまう方もいます。
けれども、国の指針が宿に求めていることは、整理すると四つです。そして、小さな宿には小さな宿なりのやり方があります。大切なのは、完璧な仕組みをそろえることではなく、現場で実際に動く備えを持っておくことです。
この記事では、義務化で求められる四つの措置を、ホテル・旅館の現場、とりわけ人員の限られた宿で、どう実装すればよいのかを具体的に整理しましょう。何がカスハラにあたるのかという線引きそのものについては、別の記事で詳しく扱っていますので、本記事では「どう備えるか」に絞って進めます。

義務化で宿に求められる、四つのこと
指針は、事業主に対して四つの措置を求めています。
一つ目は、カスハラに対する宿の方針を定め、それを従業員に周知すること。二つ目は、従業員がカスハラについて相談できる体制を整えること。三つ目は、カスハラが起きたときに、迅速かつ適切に対応し、再発を抑えること。四つ目は、相談した従業員のプライバシーを守り、相談したことを理由に不利益な扱いをしないことです。
ここで押さえておきたいのは、これらの措置が、従業員が一人でもいれば、すべての事業主に求められることです。規模の大小は関係ありません。「うちは小さな宿だから関係ない」という例外はなく、家族と少数のスタッフで営む宿であっても、対象になります。
義務とはいっても、違反したからといってただちに罰金が科されるわけではありません。国が報告を求めたり、助言や指導、勧告を行ったりし、それでも従わない場合に企業名が公表される、という仕組みです。とはいえ、これを「罰がないなら後回しでよい」と捉えるのは得策ではありません。備えのない宿は、いざカスハラが起きたときに、従業員も経営者も無防備なまま矢面に立たされることになります。
措置1 方針を決めて、掲げる
最初の一歩は、カスハラに対する宿の方針を定めることです。難しく考える必要はありません。「当館は、お客様には誠心誠意おもてなしをいたします。同時に、従業員に対する暴言や過大な要求といった行為には、組織として毅然と対応します」。この程度の文章を、宿の姿勢として明文化すれば十分です。
方針を文章にして、朝礼で共有したり、事務所やバックヤードに掲示したりすることで、従業員は「これは自分一人の判断ではなく、宿として決めた方針なのだ」と理解できます。理不尽な要求に対して一線を引くとき、この後ろ盾があるかないかで、現場の心の負担は大きく変わります。
方針を掲げることには、もう一つの効果があります。お客様の目に触れる場所に「従業員へのハラスメントには毅然と対応する」という趣旨の掲示をしておくことは、理不尽な言動を未然に抑える効果が期待できます。多くのお客様にとっては当たり前のことですが、一部の心ない言動に対しては、宿の姿勢を示しておくことが予防線になります。
次に、そのまま使える掲示文の見本を示します。自館の言葉に整えてご活用ください。
図表1:そのまま使える「カスハラ対応方針」掲示文サンプル ※自館の言葉に整えてご活用ください
当館は、ご来館いただくすべてのお客様に、誠心誠意のおもてなしをいたします。同時に、ともに働く従業員が安心して働ける環境を守ることも、当館の大切な責務と考えております。
つきましては、お客様による次のような行為に対しては、組織として毅然と対応いたします。
- どなる、おどす、土下座を求めるなど、行きすぎた言動
- 理由のない過大な要求や、長時間の拘束
- 従業員を傷つける言葉や、しつこいつきまとい
これらの行為が認められた場合、当館はお客様への対応をお断りし、状況に応じて関係機関に相談・通報することがございます。何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
○○年○月 館主 ○○ ○○
※従業員向けには「困ったときは一人で抱えず、必ず◯◯に相談する」という一文を添えて掲示すると、相談体制の周知も同時に行えます。
措置2 相談できる先を、決めておく
二つ目は、従業員がカスハラについて相談できる体制を整えることです。大企業のように専門の相談窓口を設ける必要はありません。小さな宿であれば、「困ったことがあったら、誰に相談すればよいのか」を決めて、全員に伝えておくだけでも、立派な相談体制になります。
ただし、長年現場を見てきて痛感するのは、相談しやすい空気がなければ、相談体制は形だけのものに終わるということです。クレームやトラブルを受けた担当者が、上司からの叱責を恐れて出来事を一人で抱え込み、報告を上げないことがあります。これでは、宿は問題が起きていることにすら気づけません。
ですから、相談先を決めると同時に、悪い報告ほど早く上げてほしい、報告した人を責めない、という姿勢を経営者の側から繰り返し示すことが欠かせません。報告・連絡・相談が自然に流れる組織であってはじめて、相談体制は機能します。誰に相談するかを決めるだけでなく、相談しやすい風土をつくるところまでが、措置2の眼目です。
自社だけで受け止めきれないと感じる場合には、外部の相談先を持っておくのも一つの方法です。利害から離れた第三者に相談できる先があるだけで、現場の安心感は大きく変わります。
措置3 対応の手順を決める――「一人で対応しない」を鉄則に
三つ目は、カスハラが起きたときの対応です。ここで最も大切な原則を先にお伝えします。悪意のあるクレームやトラブルには、決して一人で対応しないことです。これは、私が現場で繰り返し申し上げてきた鉄則です。
理不尽な要求や長時間の拘束は、一人で抱えていると、どこまでも消耗を深めます。たとえ小さな宿でも、もう一人がそばにつく、責任者に代わる、という形をあらかじめ決めておくことで、現場の従業員は守られます。
対応の手順は、現場のスタッフが緊張した場面でもひと目で動ける形にしておくことが肝心です。次のような流れを一枚にまとめ、フロントやバックヤードに貼っておくとよいでしょう。アルバイトや新人にも分かる、やさしい言葉にしてあります。
図表2:こまったお客様への対応の流れ ―「ひとりで対応しない」がいちばん大事―
現場では無理に解決しようとしない
カスハラだと感じたら、現場の担当者が一人で抱え込み、その場で解決しようとしないことです。落ち着いて状況を確認し、手に負えないと判断したら、速やかに上司や責任者に引き継ぎます。引き継ぐことは、逃げではありません。宿として正しく対応するための、最初の一歩です。
責任者が組織として対応する
引き継ぎを受けた責任者や経営者は、宿の方針にもとづいて対応します。誠心誠意お詫びをしても聞き入れられず、理不尽な要求が続く場合には、会社として毅然とした態度で臨まざるを得ません。お客様に快適に過ごしていただくことと同じように、従業員を守ることも、経営者の重要な役割です。
記録を残し、振り返る
対応したあとは、いつ、何が起き、どう対応したのかを記録に残します。この記録は、同じお客様が再び来たときの備えになり、宿泊をお断りする判断が必要になったときの裏づけにもなります。そして、なぜそのトラブルが起きたのかを振り返り、防げるものであれば再発を防ぐ手立てを考えます。
措置4 相談した人を、守る
四つ目は、相談した従業員のプライバシーを守り、相談したことを理由に不利益な扱いをしないことです。これは、見落とされがちですが、相談体制を本当に機能させるための土台になります。
カスハラを相談した従業員が、「大げさだ」と責められたり、評価を下げられたり、相談内容を他の従業員に言いふらされたりすれば、その人はもう二度と相談しなくなります。相談体制は名ばかりになり、従業員は再び一人で抱え込むようになります。
相談を受けたら、その内容は慎重に扱い、相談した人が安心していられるようにする。相談したことで、その人が損をすることは決してない。この約束が守られてはじめて、従業員は安心して声を上げられます。小さな宿ほど人間関係が密なぶん、この配慮は丁寧に行う必要があります。
小さな宿は、どこから始めればよいか
ここまで四つの措置を見てきましたが、これらを一度にすべて完璧に整えようとする必要はありません。人員の限られた宿では、できるところから順に始めるのが現実的です。
まずは、方針を一枚の紙にまとめることから始めましょう。「お客様を大切にし、同時に従業員も守る」という宿の姿勢を、短い文章にして掲げる。次に、困ったときの相談先を一人決めて、全員に伝える。そして、カスハラだと感じたときの対応の流れを、簡単な図にして共有する。この三つができれば、四つの措置の骨格は整います。
そのうえで、決めた方針や手順を、折に触れて従業員と確認する場を持つことをお勧めします。実際の場面を想定して、どう声をかけ、どう引き継ぐかを練習しておくと、いざというときに体が動きます。新人やヘルプのスタッフにも、同じように伝えておくことが大切です。仕組みは、つくって終わりではなく、繰り返し共有してはじめて根づきます。
時間をかけて完璧なマニュアルを作るよりも、簡単でも実際に動く備えを早く持ち、それを少しずつ育てていく。小さな宿がカスハラに備えるには、この進め方が現実的です。
さいごに
いかがだったでしょうか。義務化で求められる四つの措置は、方針を掲げる、相談先を決める、対応の手順を整える、相談した人を守る、というものでした。どれも、大がかりな仕組みは必要ありません。とりわけ「一人で対応しない」という鉄則を現場に根づかせることが、従業員を守るうえで何より効きます。完璧を目指して動けずにいるより、簡単でも動く備えを早く持ち、育てていくほうが、小さな宿には確かな支えになります。
弊社アルファコンサルティングでは、ホテル・旅館の経営に特化し、特定の業者と利害関係を持たない独立した第三者の立場から、宿の課題に専門的な視点を添えてきました。カスハラへの方針づくりの支援、相談体制や対応手順の整備、現場で使えるマニュアルづくりの支援など、それぞれの宿の規模と実情に応じたお手伝いが可能です。何から始めればよいか迷われたときこそ、外の視点をご活用いただければと思います。
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