こんにちは。ホテル旅館コンサルタントの青木康弘です。

賃金や評価、昇給の本を読むと、たいてい「長く勤めて成長した人に、しっかり報いる仕組みを」と書いてあります。ところが、その教科書どおりのやり方は、ホテルや旅館にはそのまま当てはまりません。理由が二つあります。

一つは、払える人件費に天井があること。部屋数は簡単には増やせませんから、売上にはおのずと上限があります。すると、給与に回せる総額も決まってしまう。しかもその枠は、稼働や単価という外部の環境に左右されます。皆が頑張っても、環境が向かなければ、待遇を大きく良くするのは難しいのです。

もう一つは、長く勤めて育つ、という前提が崩れていること。部署によっては、仕事を一年で覚えてしまう。その先に用意できる役職も限られ、離職率は他業種より高い。長い年月をかけて上がっていく賃金カーブが、そもそも成り立ちにくいのです。

この二つを踏まえると、宿の賃金は、他業種のまねではなく、宿の制約に合わせて設計する必要があります。その勘どころを、四つの発見に分けてお話しします。人を育てる話は「人材育成・教育」、人件費を率と総量で見る話は「人件費の40%の壁」をどうぞ。

宿の賃金・評価を整えたい方へ この記事の発見
  1. 払える人件費には、天井がある。評価の役割が、他業種とは変わります。→ 発見①へ
  2. 「長く勤めて育つ」は宿に当てはまらない。だから前厚型。→ 発見②へ
  3. ポストが少ないからこそ、二本立ての等級。ベテランを名人のまま。→ 発見③へ
  4. 限られた原資は、公平に配る。見えない部署ほど丁寧に。→ 発見④へ

気になる発見だけ、つまみ読みでも役立つように作っています。

財務書類と電卓で数字を確認する様子
宿の制約に合わせて、賃金の物差しを整える

発見① 払える人件費には、天井がある

まず押さえておきたいのが、宿の人件費には天井がある、という事実です。一般の会社、とりわけ成長中の会社なら、売上を伸ばした分だけ給与の原資も増やせます。けれど、一館で営む宿はそうはいきません。部屋数が決まっている以上、満室でも稼げる額には限りがあり、給与に回せる総額もおのずと決まります。

図表1 宿の人件費には「天井」がある
部屋数
(増やせない)
×
客室単価
×
稼働率
=
売上
(上限あり)
人件費に回せる総額も、自ずと決まる

しかもこの天井は、稼働や単価という外部環境(景気やインバウンド)に大きく左右されます。スタッフが頑張っても、環境が向かなければ原資は増えにくい。ここが、宿の賃金の難しさです。

このことは、評価制度の役割を変えます。他業種なら、評価は「頑張った人をどんどん昇給させる」ための道具です。けれど宿では、いくら評価しても、配れる原資そのものに限りがある。ですから、宿の評価は「限られた原資を、納得のいく形で配るための物差し」と考えたほうがよいのです。待遇に大きなメリハリはつけられなくても、配り方に納得があれば、人は報われたと感じます。

そして、この天井は外部環境に左右されます。インバウンドで稼働や単価が上がれば、給与に回せる余地も生まれる。逆に環境が向かなければ、皆がどれだけ頑張っても、上げたくても上げられない。この現実は、経営者だけで抱え込まず、スタッフとも率直に分かち合っておくことです。

発見② 「長く勤めて育つ」は、宿には当てはまらない

世間では、勤続が長いほど良いとされます。じっくり育って、長く貢献してくれるのが理想だ、と。けれど宿では、この前提が崩れています。部署によっては、仕事を一年でひととおり覚えてしまう。覚えたあと、スキルが伸び続けるわけでもない。その先に用意できる役職も限られている。結果として、離職率は他業種より高くなります。

つまり、長い年月をかけて少しずつ上げていく、右肩上がりの賃金カーブは、宿には合いにくいのです。ではどうするか。ここに、少し皮肉な発見があります。むしろ採用時の給与を高めにし、最初の二〜三年でしっかり上げ、その後は横ばいにする。この「前厚」型のほうが、採用にも、スタッフの満足にもつながります。お金のいる若い時期に厚く報いる、と考えれば、理にかなっています。

図表2 勤続にそった賃金の上がり方 ― 宿は「前厚」が合う
一般的な会社(右肩上がり)
宿に合う「前厚」型(採用時〜数年を厚く)
入社時
1年
2〜3年
5年
10年

宿は仕事を早く覚え、上のポストも限られます。長く緩やかに上げ続けるより、採用時と最初の二〜三年を厚くするほうが、採用にも満足度にもつながります。皮肉なようですが、これが宿の実態に合った形です。

手当と賞与も、あわせて整えます。役職手当は部門ごとに考え、専門性が高く忙しい調理は厚めに。諸手当は、惰性で続いているものがないか棚卸しを。賞与は、業界では薄いところもありますが、他業種と人を取り合う以上、夏と冬を合わせて月給の一・五か月分以上を一つの目標にしましょう。

自館の賃金カーブは、宿の実態に合っていますか。

賃金・評価制度づくりを相談する

発見③ ポストが少ないからこそ、等級は「二本立て」に

役職のポストが限られることは、悩みの種です。腕のいいベテランを処遇しようとして管理職に就けると、宿は現場の名人を失い、本人も不本意で、かえって辞めてしまう。けれど、ポストがないからと放っておけば、それはそれで辞めていきます。

この板挟みを和らげるのが、二本立て(複線型)の等級です。支配人を目指すマネジメントコースと、腕を極めるスペシャリストコースを分けて用意する。管理職の椅子は少なくても、専門職としての階段を別に用意しておけば、ベテランの仲居や板前を名人のまま、きちんと処遇できます。ポスト不足という宿の弱みに、一つの答えになります。

図表3:二本立て(複線型)の等級制度のイメージ

マネジメントコーススペシャリストコース
目指す姿人と数字をまとめる管理職技と接客を極めるプロ
道筋の例主任 → 課長 → 支配人一般 → 上級スタッフ → 主席(マイスター)
向く人組織を動かすことにやりがいを感じる人現場の腕で貢献したい人
宿での例フロント主任から支配人へベテランの仲居、熟練の板前

※管理職のポストが少ない宿でこそ、専門職の道を用意しておくと、腕利きを名人のまま処遇できます。

発見④ 限られた原資は、見えない部署にも公平に

原資が限られるからこそ、その配り方の公平さが、いっそう大切になります。ところが評価には、部署によって甘辛が出ます。営業や調理は、売上や料理という成果が目に見え、高い評価を得やすい。一方で、接客やフロント、総務・経理は、物差しがはっきりせず、目にとまりにくい。けれど、宿が日々問題なく回っているのは、こうした部署の支えがあってこそです。

甘辛を抑える手は、いくつかあります。部署をグループに分けて相対評価をし、四段階なら最上位は全体の二割、次が五割、その次が二割、最下位が一割、と割合を先に決めておく。評価する人も、オーナー一人に頼らず中間管理職を加える。人が正確に評価できるのは、せいぜい十名ほどだからです。そして、部署や職位ごとに「何がどこまでできれば良いのか」を、言葉にしておくことです。

パートの評価は、スキルチェックシートで
部署ごとに「できてほしいこと」を項目にして並べ、達成した数に応じて時給を上げます。たとえば「三十項目できたら時給五十円アップ」のように、基準が目に見える形になっていると、評価に納得してもらいやすく、本人が自分から腕を磨く励みにもなります。

天井を押し上げられるのは、生産性だけ

ここまでお話ししたとおり、宿の人件費には天井があり、その高さは外部環境に左右されます。景気やインバウンドは、自分では動かせません。けれど、一つだけ、自分の手で動かせるものがあります。一人当たりの生産性です。黒字の宿と赤字の宿の差は、まさにそこに表れます。

図表4 黒字の宿と赤字の宿を分けるのは「一人当たりの売上」
黒字の宿(就業者一人当たり売上)1,205万円
赤字の宿(就業者一人当たり売上)899万円

差はおよそ300万円。天井そのものを押し上げているのは、一人がどれだけ生み出せているか、です。(日本旅館協会・令和7年度 営業状況等統計調査)

天井そのものを押し上げるには、一人が生み出す売上を高めるしかありません。多能工化で時短の人も戦力にし、省人化で手のかかる作業を減らす。そうして生まれた余力が、賃上げの原資になります。省人化の進め方は「宿泊DX・省人化ガイド」に、人件費を率と総量で見る話は「人件費の40%の壁」にまとめています。

いま、賃金まわりで起きていること

制度を整えるなら、足元の動きも押さえておきましょう。とくに、パート・アルバイトの多い宿に関わるものが続いています。

最新の動きいま、賃金まわりで起きていること
最低賃金の上昇
2025年度は全国平均で時給1,121円となり、すべての都道府県で千円を超えました。最低賃金すれすれの設定では、もう人は集まりません。
同一労働同一賃金
同じ仕事なら、パートと正社員の間で手当・賞与・福利厚生まで不合理な差をつけられません。パート用の賃金テーブルを社員のものと並べて作るのが近道です。
社会保険の適用拡大(年収の壁の見直し)
2024年10月から対象が従業員51人以上の事業所に広がり、2026年10月には「106万円の壁」の月収要件が撤廃される予定です。週20時間以上働く人は賃金にかかわらず加入対象になっていきます。

いずれも、パートの処遇を見直すきっかけになります。同じ仕事なのに待遇が違う、という状態を放っておくと、これからはいっそう人が定着しません。社員と並べたパート用の賃金テーブルを一度作っておくと、こうした変化にも落ち着いて対応できます。

さいごに

いかがだったでしょうか。宿の賃金は、他業種の教科書どおりにはいきません。人件費には天井があり、長期のキャリアを前提にした賃金カーブも成り立ちにくい。だからこそ、評価は限られた原資を公平に配る物差しと心得て、賃金は前厚に、等級は二本立てに、原資は生産性で押し上げる。宿の制約に正面から向き合うことが、納得のいく賃金への近道です。

弊社アルファコンサルティングでは、ホテル・旅館の経営に特化し、特定の業者と利害関係を持たない独立した第三者の立場から、宿の実態に合った等級・評価・賃金の仕組みづくりをお手伝いしてきました。複線型の等級設計、前厚型の賃金カーブ、部署をまたいで公平な評価のしくみまで、それぞれの宿に応じた支援が可能です。

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よくある質問

Q. 評価しても、給料をあまり上げられません。

A. 宿の人件費には天井があるので、それが自然なことです。評価を「青天井の昇給」ではなく「限られた原資を納得のいく形で配る物差し」と捉え直してください。メリハリは小さくても、配り方に納得があれば人は報われたと感じます。原資そのものは、生産性を高めて広げます。

Q. 賃金カーブは、どう設計すべきですか。

A. 長い年月をかけた右肩上がりは、宿には合いにくいです。仕事を早く覚え、ポストも限られるからです。採用時と最初の二〜三年を厚くする「前厚」型のほうが、採用にもスタッフの満足にもつながります。

Q. 何から手をつければよいですか。

A. 等級の整理からです。とくに、管理職を目指す道と専門職の道の二本立て(複線型)にすると、ポストが少なくても、辞めてほしくないベテランを名人のまま処遇できます。

Q. パートの時給は、どう決めればよいですか。

A. スキルチェックシートで、達成数に応じて上げる形がおすすめです。社員と並べた賃金テーブルを作っておくと、同一労働同一賃金にも、これから進む社会保険の適用拡大にも、落ち着いて対応できます。

Q. 業績が良い年は、思い切って賃上げしてよいですか。

A. インバウンドなどで枠が広がった年は、待遇を良くする好機です。ただし、環境はまた変わります。基本給ですべて上げてしまうと、環境が悪化したときに下げられず苦しくなります。良い年の上振れは、賞与や一時金でメリハリをつけて還元するのが、天井のある宿の知恵です。

宿の制約に合った賃金へ。勘から、仕組みへ、ともに。

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